浅草 仲見世通り商店街と周辺(台東区)

伝統、文化、新しいモノを取り入れる勇気。浅草が、浅草らしくあり続ける強さは、新しいもの好きとその街が好きな人から生まれる。

調査日 2010年4月
知名度は圧倒的に高く、観光客も国内外を問わず、いつでも雷門から仲見世通りには溢れる人で土日等は歩くのにも苦労する。
 浅草では、飲食、物販、そしてお土産で大きなお金が落ちるが、昔からの老舗だけではなく、近年には大変多くの新規店も開店しており競争も激しくなっている。
 仲見世通りの両脇には、そういった新しい店がオープンし、それがまた浅草の活性化につながり、魅力が継続されている要因になる。
 伝法院通りには、商店街の街並みを揃え、浅草でしか見れないような「粋」が表現されている、「ぶらし専門店」「櫛専門店」等お店のデザインや看板を見て歩くだけでも充分楽しめる。入ってみると、非常に専門的な物が多いのに驚くばかりである。
 飲食も、大変活気がある 天丼で有名な「大黒屋」、すきやきの「今半」などは 長い行列がいつも出来ている。和菓子の「舟和」もいつも多くの人で賑わっている。
 伝法院通りから、花屋敷の方に少し歩くと、全く違う雰囲気の一角があり、ホルモン焼き、ホッピー、もんじゃの看板が目立ち、お昼間でも皆楽しそうに飲める場所になっている、これがまた下町の良い所で「気取る所」と「気取らない所」が同居していて面白い。
 今ではめったに見る事が出来ない「競馬の予想屋」もこの辺で営業されており、皆競馬ファンは必死に聞いているのが懐かしく思えた。 

羽子板市も魅力度一杯 伝統を続ける熱意

調査日 2011年12月
 師走とはいえ平日にも関わらず、浅草は大変賑わっていた。
 丁度、羽子板市の最終日にあたり、前日はテレビでも取り上げられており 大変な数のお客さんで賑わっていた。
 羽子板が、浅草浅草寺のお祭りで販売され始めたのは、明治の中期らしいが、今の名称「羽子板市」になったのは、昭和25年という事だそうだ。
 その時から、はや60年続き正月に羽子板をつく人が居なくなっても、続いているのは羽子板を、遊ぶ道具から縁起物に変えていった事、その年の世相を反映した物を取り入れて行く柔らかい発想の企画商品、それと 盛上げる心意気(パワー)だからこそと思う。

これに関しては、達磨や置物も同じであるが、見習うところが大きい。
 これにより、大変多くの人で賑わい、他の商店も大変潤う、ここに昔の商業の良さがあり、先人たちは 良く理解をして お互いの共存の為の、投資や協力などの労をいとわない商人気質だったのであろう。
 昨今、その共存の意識が薄れ、協力や連携が薄れてきており、自分だけが良ければという考え方が 少し強くなってきている事を感じる。
 昔の事から、学ぶ事が本当に多く、大変役に立った。不況でも、好況でも こういう気質が 商売を作ってゆくのであろう。

浅草羽子板市 (87).jpg浅草の羽子板市も 長く続く大イベント
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