日本の企業が何故、世界で活躍できたのか?

「創意工夫」が忘れ去られようとしている危険

2013年5月8日

物資が不便な時ほど、「有能で知恵があり、行動力のある人」が生まれる。日本の驚異的な成長は、製造業が引っ張ってきたが・・・・

何故、木造の神社仏閣が今でも美しく建っているのでしょうか。

3 法隆寺 (58)_R.JPG千年以上も前の歴史的建物が何故壊れないのか?と不思議に思われた事もあると思います。日本には、古くは奈良の法隆寺を筆頭に、巨大な神社仏閣があります。そして、その多くは幾度かの大きな地震などにも耐え、どっしりと今も建っていることにいつも「先人の知恵」を感じます。今のように、耐震実験もなく、鉄骨もなく、耐震データの蓄積や対策もありません。また、神社仏閣の基礎工事も本殿の制作も道具は非常に限られていましたし、宮大工の人達も少なく、作業は困難を極めたと想像出来ます。クレーン車も勿論ないわけですから、大きな太い柱を組み込むにも、大変な労力がかかります。釘なども、当時はあまり使いません、鉄を作りだす技術は生まれていましたが、良質な鉄を大量生産することも出来ません。また、鉄は腐食するので、木材への悪化を懸念することもありました。しかし、その代わりに「組木」というような技法を使い、しっかりと何百年も耐えうるような「建築技術」を日本人が考え出して行きました。いまでも、この時代に生まれた「組み方」は、受け継がれ大切な神社仏閣などには使われています。
このように、物資や膨大な研究成果がなくても、千年以上の時を経ても当時のままで残っている日本建築は実に多いのです。

何もないと「考えるしかない」 考えることで「工夫」が生まれる

戦後の日本は、「焼け野原」で何も残っていなかったといってもいい状態でした。物資も勿論ありませんし、教育どころか生活してゆくだけでも大変な時代だったと思います。しかし、そう言った物資が枯渇している状況でも、多くの世界を代表する企業が生まれました。多くは製造業でした、「世界的な企業」を日本が輩出してきた事は、非常に誇らしい事だと思います。この成功した製造業の原点を考えると、成功した一番大きな要因は「創意工夫」ではなかったかと感じます。古来の日本建築と同じように、「モノや資源、資金、人材等」全てがない時に、「創意工夫」がありました、正確には「ないので、考えて工夫するしかなかった」と言う方が正しいかも知れません。そういう時代に、育った企業は、その時代の人が中心で活躍していると、いくら成功しても「創意工夫」の精神が生き残っています。「お金ではなく、頭を使え!」と号令し、自ら率先して「創意工夫」を見せて回ります。それがその企業のDNAを作ってきたのかも知れません。この「創意工夫」が、新たな商品開発に繋がり「戦後の不便な生活を、どんどん便利にしてゆくこと」で、多くの電気メーカー等も世界に羽ばたいた要因だったと思います。

経済や生活が豊かになると「創意工夫」がなくなってしまう!?

川越 1蔵造り通り、菓子屋横丁(3)_R.JPGしかし、その時代の活躍した人達も引退し、今の多くの会社には「豊かになった時代」に育った人が多く、「創意工夫」ではなく「お金で買う」ことに慣れすぎた人が多くなりました。「お金で買う方が、効率が良い」「投資効果が高い」「買う方が早い」と楽な方に流れてしまっている事を強く感じます。経済が豊かになり、生活もゆたかになると「不便」を感じなくなり、「お金」で済まそうとするようになります。結果、「不便」を感じて「創意工夫」をして新製品を作ってきた成功してきた企業の「感性」が落ち、工夫をしないカルチャーが「思考力」を落としています。これは、自分にとっても同じように実感しています。
今の社会や学校も見ていると、すべての物が揃い、不便という事がひとつもありません。教育現場においても、「不便」をかけないようにしているのではないでしょうか?家庭でも学校でも、企業でも「不便」をお金で処理してゆく文化を作ってしまうと「創意工夫」が育ちません。「不便で困っている事を、自分達の手でどうするか」を考えさせ、行動させるようにしてゆく事が、非常に大切な教育ではないでしょうか。戦争を体験してきた多くの方が「自分達は不便な時代だったから、せめて子供達や孫には不便をかけさせたくない」と言葉に出す人も実に多いですが、「不便」は必要な要素なのです。戦争の「悲惨さ」と「不便」を一緒になっている事があるのではないでしょうか。不便な時に工夫したことを話すのは、非常にためになり優秀な子供であれば、目を輝かせて聞いてくれるか知れません。
「可愛い子には旅させよ」 これは、あえて外の環境に触れて、不便があっても自分で立ち上がれる子供に育てなさいという事ですが、最近は「親がお金を提供して、子供が旅行に行っている」ような感じになってきたように感じます。
会社でも不便があった時に、「少し苦労して工夫して作ってみる」ことも意識してやることが必要です。お金を出す方が安く済む時代ですが、社員は「考える」事に強くなってゆきます。

昭和の時代の家庭の郵便箱は、多くの場合「家庭での手作り」でした。それも、近所に家ができる時に、大工さんに頼んで「破材」をもらったり、蒲鉾の板を使ったりしてました。それも家庭での「創意工夫」の良い見本だと思います。包み紙を大切に開封し、あとでまた使う、これも大切な事ですしエコにも役に立ちます。戦争で苦労してきた両親達がやっていた事を思い出して、私たちももう一度やらないといけないのではないでしょうか。