モノづくりの知恵と感動

「何故、あそこまで凄いモノがあの時代出来たのか?」といつも考えてしまう。 日本人のモノづくりDNAは消えてしまったのか?

2012年4月12日

3 法隆寺 (58).jpg私は高校生くらいの時から神社仏閣を見るのが好きだった。
 我々の時代の小さい時は神社の境内で野球や鬼ごっこをすることくらいが小学校時代の放課後の遊びだったから、自然と神社などには親しみがあったからかも知れないが、なんとなく落ち着く空間に感じる。
 しかし、大学生くらいからは、この神社仏閣を違う観点で見るようになった。

その見方は、日本の建築の技術力の高さと、先人の知恵、そして仏教普及や飢餓をなくすための祈りや寄進などの信仰に対する帰依の力である。とりわけ、建築の技術力には驚かされることが多く、私は日本の建築技術は間違いなく、天平時代あたりから江戸時代までは世界でトップだったと思うし、その技術がもっと世界に「日本建築」として輸出されても良かったと思う。 3 法隆寺 (93).jpg

 「技術大国日本」と戦後の日本は言われ、間違いなく復興の礎になってきたが、電気機器や車、エネルギーだけではなく、建築技術がもっともっと先人の技術を受け入れながら発展していれば 世界で日本の建築技術が多くの所で見られたのではないかと思う。
 日本で登録されている「世界遺産」の建物は、殆どが木で出来ている建築様式である。一番古いのは「法隆寺」で、聖徳太子の創建と言われている、一度大昔に焼失しているが 少し場所が変わっただけで殆ど当時の様式で再建されている。

4 東大寺大仏殿 (28).jpg
 奈良の東大寺なども巨大な木造建築である。地震も当然、当時からあったが、立派に今でも立っている(焼失はしている) 五重の塔などは 最初から今でいう免震設計がされてあり、当時の技術を今 利用しているのである。 

 私が、一番感心するポイントは、当時は今のように電気カンナや電気のこぎり、ブルドーザーやクレーン車等の機器や施工道具などがない、また電卓やコンピューター、CADなどの計算ならびに設計器具もない、インターネットも図鑑などの参考資料もない という状況でしかも設計者も労働力も非常に少なかったはずである。
 後世に残す建築物は、気象学や天体学も必要になってくるし、風水などの占星術的なものも必要だし中国から勉強することも多いにあった。
 しかし、当時 法隆寺建築に使われた道具は「槍鉋(やりがんな)」だけだったということを読んだことがある。槍鉋とは棒に刀のような物がついていて それを引いて表面を削る器具である、何故、そんなモノだけで、法隆寺が作れるのだろうか?
 それが いかに凄い事か考えただけで、先人たちの知恵と熱意と日本の為に働いた尊さに感激する。
 また崩れないように、何千年も持つように作り上げる木の組手の技術の開発、また継続性だけでなく 美しいデザインで、いつまでたっても敬意を払われる威風堂々とした佇まいなど、日本の先人の技術力とデザイン能力の高さには驚く点ばかりである。
 日本人には そんなDNAがどこかに残っていると思うが、戦後焼け野原になった日本が選んだ建築は、あまりにも違うモノばかりになった。また、海外の設計を入れた物が 日本の新しい復興を象徴するべき建物に採用されてゆき、日本らしい高い建築技術が、一部の所でしか見られなくなってしまった。(まるで焚書坑儒みたいに) 

 京都や奈良などが いつまでも「観光地でトップの人気」を保っているのは、ある意味では 失われた日本の良さを見に行く事で、日本の良さを再認識して 日本人のDNAを感じているのではないかとさえ思えます。
 今の日本のモノづくりは、東大阪や蒲田などの中小企業や、伝統工芸品などを作る職人の世界では、立派に活き付いていると思いますが、大手の企業では「疑い」を持たざるをえない所が増えてきています。

 「利益」を出す事が「目的」になって、それを達成するために「質」を落とし、魅力のないモノになっているのではないでしょうか? 「質」を最初に考え「目的」にしないと 良いモノは出来ません。 「利益優先」を考え直し「質優先」に少し舵を戻すことが、「モノづくり日本」の最初だと強く思います。

小売りの商売や飲食も同じです、お客様が喜んでくれる事「質」を優先して考えて行けば お客様の支持を獲得してゆく事に通じますが、「利益」を優先して 儲けることを最優先にしてゆくと支持を失い、商売が危うくなってゆきます。何でも同じなんですね。