「日本の伝統文化・技術」を考え直そう

福井県三国の「船箪笥」に見る日本の先人の知恵と文化を残そうとする現代職人の熱意は凄い。

2012年10月30

DSC02620.jpg「船箪笥」という言葉はお聞きになった事があると思います。 桐のタンスのような婚礼の時に持って行く箪笥ではなくて、桧の素材で作り周りを金細工で強化した質実剛健で、壊れにくそうな箪笥です。
この「船箪笥」の言われは、江戸時代中期から明治の中頃まで活躍した「北前船」の歴史と重なる。
ご存じの通り「北前船」は大阪を代表する近畿圏の商人が、北海道のニシン、紅花、昆布などを仕入れて、近畿に持ってきて莫大な富を得た日本の貿易の中でも大変有名な「船を使った取引」でした。当時の北前船は動力は「風」 つまり「帆」で進んでいて、色々な所に中継してその中継場所で大きな商いが生まれていました。有名な所では、福井県三国、佐渡、酒田など日本海側で今でも立派な蔵がある所が多いのは、当時の北前船貿易の名残があると言えます。
商いがある所には、豪商が生まれます。同時に、豪商がおかかえの「絵師」や「文学者」「茶人」など当時の日本文化を代表する人達を持つことにもなり、そこで大きな文化芸能が発達してゆくことにも繋がっています。
イタリアのルネッサンス時代のメディチ家みたいなもので、パトロンです。
そんな、文化は工芸の世界にも拡がり、多くの優秀な「職人」を育てることにも良い影響を与えました。 福井県三国で生まれた「三国箪笥」がその代表です。 
今回は、その三国の「船箪笥」の第一人者の勝木憲二郎さん(68歳)に話を聞く事ができ、三国の船箪笥の歴史、凄さ、また勝木さんの船箪笥の伝統を受け継ぎ、後世に残して行こうとする気持に非常に感銘を受けました。
船箪笥とは
DSC02623.jpg船箪笥には強固に作ってあるだけではなく、当時の人達の「知恵」の塊が埋め込まれています。 
当時の北前船の貿易は誰でも出来るわけでなく、当時のお上から特別の許可を受けた商人しか商いをする事は出来ません。そのために、中継する場所場所で許可書「証文」を見せる必要もあり、「証文」は一番大切なモノでありました。もちろん、貿易するために1000両くらいのお金(今の一億円)も同時に持ち運んでいましたが、証文は再度発行してもらう訳にはいかず、お金より価値のあるものでした。お金は、後で儲ければ何とかなるんですね。 そのために、船が難破して沈没する時に、この大切な「証文」を保管してある「船箪笥」を海の外に放り投げ、その船箪笥につかまり助けを待ったり、どこかの岸にたどり着くように、船箪笥を特別な物に仕上げたと言われています。

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「船箪笥」は水に浮きます、そのためには非常に精緻に作り、水が入る隙間のないように作り浮力で浮かせる。また、海に投げ込んだり、岩に当っても壊れないようにするために、周りを金の細工で強固に造り上げています。
また、この金の細工は美しいデザインで、まさに強固という「機能」の面と、美しさという「芸術」の面を併せ持つ何とも言えない独特の世界観を持つ「箪笥(金庫ですね)」です。
また、同時にからくりがしかけてあり、簡単に中の大切な物を取り出せるようには作っていません。 丁度、ピラミッドの中の財宝を見つからないように工夫したエジプトのような感じで、約80cm四方の箪笥に独特のしかけとからくりが施されています。

勝木憲二郎さんは当初は、北前船の研究をされていたそうです。
その研究が続く中で、今度は三国の船箪笥を研究するうちに、この船箪笥の伝統を残して行こうという継承者の道を進む事になったそうです。日本でも、船箪笥の歴史は、北前船の貿易が無くなると同時に、船箪笥の歴史も消えました。いくら、技術や工芸の世界で、良いものでも使う人がいなければ伝承が難しい事はこれまでもいっぱい例があります。しかし、勝木さんは、この三国の船箪笥の良さと先人の残してきた数々のアイデアと執念を復元し、少しずつではありますが見事に伝承されてきています。

桧でできていますが、桧を伐採してもダメなんです。
DSC02623.jpg船箪笥は桧の無垢材で出来ています(証文を入れる引き出しは桐でした)が、通常の桧は水分も多く、若いとそりなども出てくるので、長年船箪笥として使用できる精度はでない。そのために、桧を使った古民家の解体の材料を使うしかない、古民家なら、囲炉裏などで煤が付き、虫も付かないし、強固になって、しかもそりも出てこない だから材料集めが一苦労と言う事でした。
なんとも凄い、材料の調達もいつまで出来るか分からない、それでも自分がやれることはやる! 三国の船箪笥を残したいという気持ちは聞いていても「凄い」と思う一言、また北前船の話と船箪笥の話をしている勝木さんの顔は若々しいし、嬉しそうでまるで「孫」のお話をされているようで こちらも嬉しくなってくる。
年間に15本程度しか造れないようだ、だからなおさら自分で作った船箪笥は「嫁に出すような」感じなんだろうと想像した。

「えっ 金細工もご自身でやるのですか?」
勝木さんは、この先人の知恵と伝統を守ろうとして、船細工本体だけでなく、金細工の部分、鍵の部分もご自分で作られるそうだ、何でも自分でやらないと気が済まないのだろうし、それが職人の向上心なんだろうと思う。これには、びっくりした、普通は分業だろうけど、自分でやらないと継承も難しかったのだろう。

「自身の知っている事は全部継承したい」
そんな勝木さんも68歳、お弟子さんも5人いるそうで、若いうちに自分の持っている技術、ノウハウは伝えて行きたい。そうでないと、三国の船箪笥は終わってしまう。
無事に伝えて行くことが、自分の使命のようにおしゃっていた事が印象的だった。

船箪笥は本当に沈まないのか?
勝木さんが、復元に人生を捧げる事になった三国の船箪笥だが、ご自身も「本当に沈まないのか実験もした事がなく、言い伝えだけだった」。
そこで平成6年に、自殺の名所である東尋坊で、テレビ局の生中継の元 高さ22mの崖から海に向かって、ご自身が造られた「三国の船箪笥」を投げ込まれたそうです。
不安も少なからずあったかも知れませんが、結果は見事に海に浮いて、実験は大成功、これで船箪笥の名前は一躍有名になり、その中でも特に「三国の船箪笥」の知名度と信頼度が上がり、全国からも問い合わせがいっぱいになったそうです。
ご自身も「やってきた良かった」と思われたのではないでしょうか?

日本が誇る技術はいつも職人さんから出発している
文化の継承、工藝の継承、芸術の継承 何でも継承してゆくのは簡単な事ではありません。もしかして、勝木さんの東尋坊からのテレビ中継がなければ 今このような形で「三国船箪笥」の記事を書いているかどうかも分かりません。
先人の知恵を継承してゆく気持ちだけでも駄目、技術を磨きあげただけでも駄目、やはりこれからを見据えて何か話題になる演出も必要なんだと感じます。
職人さんは、皆恥ずかしがりやで「当たり前の事をいつもコツコツやるだけ」と話されます。確かにそうだと思いますが、勝木さんのこの大英断で、伝統がさらに見直され、職人の皆さんが、さらに自信を持って もっと技術を深めてゆくことにも繋がったと思います。
確かな技術、変わらぬ気持ち、そして遊び心。
私も昔、北陸を2年間担当していましたが、一度三国にある工房を訪ねて行きたいと思いました。
勝木さん 有難うございました。これからも素晴らしい作品を作ってください。

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(有)匠工芸 http://www.takumikougei.co.jp/